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2015/04/19

分かった風な口をきく

犬が亡くなって、たくさんの人が来てくれた。
そして言う事は、

ペットロスにならないでね。

なりたくてなる人はいないんだって。
自分が飼っていたペットが死ねば、大なり小なり、落ち込む。
それも許さない一言が、

ペットロスにはならないでね。

私は言い返す。
もし、私がペットロスで鬱になってもさらにそれで命を落とすことがあっても、
それが私の運命だから、と。

私は、今まで、何匹もの犬や猫を亡くしていて、
その頃はまだ、ペットロス、という言葉がなかったから、誰もそんなことは言わなかった。

マスコミも、いちいち、こういうことに命名するから、それが一人歩きをして、
バカな人たちが使い始める。

思いやりがある振りをしては言う。

うるさいって!

私は、今の悲しみを十分噛みしめて、それが去るのを待つ。

朝、犬の散歩に出ていた時間に、私一人で散歩に出たいけど、そんなことをしたら、

あの人、朝、ふらふらと歩いているよ、

なんて言われかねない。

本当の思いやりってのは、頭ごなしに余計なことを言わないことだ。
それをいくら言っても分からない人たちが多すぎる。
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2015/04/14

犬は持ち直し^^

寝ずの看病をした犬は、昨日の朝7時頃になって落ち着き、歩くようになった。

まだ、自力で食事を摂らないから、なんとも言えないが、心臓発作がおさまったし、トイレも自分で行けるようになったから、見通しは明るいと思われる。


私は、この犬がいよいよダメかもしれない、と感じたときに、

私の心が、こんな、5kgにも満たないような犬に頼っているのを知って、愕然とした。
犬が死んだら、いよいよ、独りか、と思ったのである。
夫が亡くなった時点で、独りになったと思っていたのに、犬がいたことで、潜在的には、まだ、家族がいると思っていたらしい。

何ということか。
犬は私が頼る相手ではなく、頼られる私でしょ!

きっと、犬に頼っている私がいる間は、このワンコはあちらへ逝けないのではないかと思う。
私がしっかりしたのを見届けてから逝こうとしているのかもしれない。
犬に無理はさせられないから、私の心に自立を促せなきゃ、思っている今である。
2015/04/13

時よ、止まれ!

犬が死にそうである。
徹夜の看病を続けている。
心臓がいけない。
薬も効かなくなってしまった。
昨日の朝までは、はしゃいでいたのだが、急に悪くなった。

この犬とは12年と半年の付き合い。
そもそも、この犬を飼ったのは、夫が、私と夫の娘(先妻さんとの間の子供)の関係を円滑にしたくて、飼ったのである。
結局は、そんなことではうまく行かずに、むしろ、トラブルの種になり、とうとう、私が一人で飼うことになった犬である。

この12年の間には、6年前に夫が亡くなり、それもショックな亡くなり方だったから、私の心には深い傷ができたかもしれない。

でも、夫が気に入っていた犬がいることで、夫との繋がりを感じていられた。
それが今、消えようとしている。

とうとう、夫との絆がなくなるのか、と思ったりする。
11日の夜には、夫の電話番号が分からなくなって、連絡がつかないと泣いている夢を見た。
目が覚めても、その悲しさが残っていて、嫌な夢だと思った。
そしたら、そのお昼頃に、犬の調子が崩れたのである。

時は無常で、どんなことも容赦なく流して行く。
生きるものの命も、時が流して行く。
こんなときは、時というのは、なんと、残酷なものなのかと思ってしまう。
2015/04/12

自分は自分だって!!

ずっと以前に付き合いがあった知人に、ばったり、デパートで会った。

その知人とは住居が近く、年齢もほぼ一緒だったので、しばらく仲良くしていた。
だけど、気がつけば、いなくなっていた。
ご主人の定年とともにいなくなった風だったから、夫婦ともども道東の同じ町の出身だし、てっきり、故郷に帰ったのだと思っていた。

それが、なんと、すぐ近くのマンションに引っ越していたのだ。
その場所は、街の中心部に出る交通の要の地域。
そして、大型スーパーなどもあって、買い物でも人が集まるところである。

そういうところに引っ越せば、この先も会うことが考えられるから、普通は、挨拶状くらいは出すだろう、と思ったが、その知人にしてみれば、私とはもう付き合わないから、いいや、と判断したのかもしれない。

デパートで、その知人とすれ違って、え!?と思った私は、後を追っかけて、声をかけた。
声をかけることにためらいもあったが、でも、なんで、挨拶状の1本もなく、いなくなったのかが知りたかった。

まさか、いきなり、そういうことも聞けないから、近況などを話して、私が、その知人の連絡先を聞いて別れた。

電話するね、

と私が言ったら、

あら~、嬉しいわ、

と知人は言ったが、

このお方、中々のタヌキだから、本音は分からない。


近況を話していたときに、なんとなく、疎遠になって行った理由が見えたような気がした。

私とその知人が付き合っていたときは、その知人にしてみれば、自分が社会的に上だと思っていたのかもしれない。
私は、そういう物の考え方で人との関わりをしないから、どうも、その辺の感性が分からないのだが、
知人が私から離れて行った時は、私が社会的には上になりつつあったときである。

そういう人は結構いる。

人間はどんなことで、社会的に上になったり下になったりするか分からない。
いつも、他人と比べていたら、心が持たないでしょう。

自分は自分、これを肝に銘じていないと、年を取ったときに自分の心の居場所がなくなるのではないだろうか。


あ、この知人には、しばらくは連絡しないでおこうと思う。
相手も、私からの電話は嫌かもしれないので。