とりとめない散歩
犬が死んでから、一人で散歩をしている。
別に歩きたいわけじゃないけど、いつも散歩に出ていた時間になると、何となく、外に出たくなるのだ。
私は、子供の頃から外が大好きだったし。
それと、まだ、犬の死を心のどこかで認めていないのかもしれない。
あのコが死ぬなんて、ありえない、と。
それで、犬が生きていたころと同じように散歩に出てしまうのかも。
でも、犬がいたときは、歩いたことがなかったところまで足を延ばしている。
ウチの犬は、歩くのが得意じゃなかったから、近くしか歩いていなかったのだ。
ほんの少し、距離を延ばしたら、素敵な住宅街を見つけた^^
まあ、みなさん、ローンに縛られているかもしれないけれど、そこは目をつぶって、ゴージャスな邸宅だけに目をやることに。
思春期にもこういう街並みを見た記憶がある。
いずれは、私もこういう家に住むぞ、などと思ったものだ。
その頃の、燃え立つような、将来への無限の可能性を信じた自分。
あの気持を思い出させてくれる住宅地を歩くと、切なさと甘酸っぱさとがないまぜになって蘇って来る。
別に歩きたいわけじゃないけど、いつも散歩に出ていた時間になると、何となく、外に出たくなるのだ。
私は、子供の頃から外が大好きだったし。
それと、まだ、犬の死を心のどこかで認めていないのかもしれない。
あのコが死ぬなんて、ありえない、と。
それで、犬が生きていたころと同じように散歩に出てしまうのかも。
でも、犬がいたときは、歩いたことがなかったところまで足を延ばしている。
ウチの犬は、歩くのが得意じゃなかったから、近くしか歩いていなかったのだ。
ほんの少し、距離を延ばしたら、素敵な住宅街を見つけた^^
まあ、みなさん、ローンに縛られているかもしれないけれど、そこは目をつぶって、ゴージャスな邸宅だけに目をやることに。
思春期にもこういう街並みを見た記憶がある。
いずれは、私もこういう家に住むぞ、などと思ったものだ。
その頃の、燃え立つような、将来への無限の可能性を信じた自分。
あの気持を思い出させてくれる住宅地を歩くと、切なさと甘酸っぱさとがないまぜになって蘇って来る。
スポンサーサイト