fc2ブログ
2015/03/13

夫の夢は、悲しく、温かく

久々に、夫の夢をみた。


夢は、

夫が何ヶ月も音信不通というところから始まった。


夫と私の実際の生活は、

私たちは、それぞれが家を持っていて、夫の方は先妻さんとの生活をそのままにしていたから、別々の暮らしが自然だったのだ。

会うのは、週末くらいで、平日は電話で連絡を取っていたけど、それがなければ音信不通みたいなものだった。

なので、夫はさすがに毎日の連絡はくれた。

私の方からするのは、どこかに遠慮があって、滅多にしなかった。



夢では、どうも、夫に好きな女性ができたから、私には見向きもしない、ということのようだった。


夫は、若い頃は、女性との関係が賑やかだったらしい。

それで、先妻さんは苦しんだようである。

私と知り合ってからは、年も年だったので浮気はしないと言っていた。

夫は、私の何かが怖かったようである。

私が怒ったら、般若のような顔になるだろうね、とよく言っていた。

私は、そこまで怒ったことがないから、自分でも分からないが、なるのかもしれなかった。

実際に、浮気をしていたのかどうかは知らない。

だって、平日は“野放し”なのだから、しようと思えば出来たのである。


夢に戻ると、

夫は生きている、でも、連絡がないことに気がついた私は、心の底から悲しくて、振り絞るようにして泣いているという設定だった。

こみ上げる嗚咽を繰り返し、

そのうち、

夫は、私と別れるとは言っていない、若い頃の浮気の話を聞いても、

他の女性に夢中になる時期があっても、また、妻の元に帰って来て、家庭を壊すつもりはなかったと言っていたではないか、と思うのだった。

そこで、私は、夫に会えそうな場所に行ってみようと思った。

そしたら、場面は変わって、その場所に私はいた。

ある町の駅前だった。

ここ?

と思った。

実際には、夫も私もその駅前はほとんど無縁だったからである。


だから、夫に会えるのは万に一つくらいかなと思っているのに、

漠然と会えるかもしれないと思っているところもあって、そこが夢だった。

そしたら、本当に、、

ポコッと夫が現れた。

私は、

ウッソー!

と夫の足取りを目で追っていた。

声はかけないのである。

夫は、駅のトイレに入って行った。

横顔しか見えなかったのだが、夫は、口を開けて、下顎を突き出し、どしたの!? みたいな顔だった。

かなり、老けていたし。


私は、夫が入ったトイレをジッとみていた。

夫は、まだ、トイレの入口にいた。

夫は、私に気がついて、左手を伸ばしてきた。

私はいつの間にか、夫の手の届く場所に移動していた。

私は、伸ばしてきた夫の手にそっと触れた。

夫は、私の手の平に指先を四本そろえて立てて、そのまま、私の手の中に自分の手を丸め込んだような気がする。

それを、私が軽く握ると、夫も握り返してきた。

段々と力を込めて、ついには、しっかりと私の手を握った。

そこで、私は夫の顔を見るのだが、

夫は、口を開いていて、中が白く乾いて、口内炎のひどい状態のようだった。

私は、

「ひどい口内炎でしょう? 今、治して上げるから!!」

力強く告げた。

すると、夫は、助けて欲しい、とすがるように言った。

私は、駅前の商店街の薬屋に飛んで行ったのだが、さっきまであった薬屋が消えていた。

では、次の薬屋、と別のところに行っても、そこも消えていた。

じゃあ、と商店街の奥まで行って、とあるお店で、この辺に薬屋があったと思うけど、と聞くと、

そこの店主のおやじさんが、のんびりと、あっちの道を曲がってどうのこうのと教えてくれるのだが、

それがまどろっこしくて、私は、途中で分かりました、ありがとう、とお店を飛び出した。

そして、教えられた道を走り、この辺だろうと、キョロキョロしていたら、その教えてくれたおやじさんが追っかけてきてくれて、そこそこ、と親切に教えてくれた。

私は、夫がまだ駅前にいてくれるかどうかを気にしながら、とにかく、薬、確か、チョコラBBだったと思うけど、それを買うと、一目散で夫がいた場所に向かってかけだした。

ところが、夫は、そこまで来ていて、私は夫に急いで薬を飲ませた。

そこで、目がさめたのある。


さめざめと泣いていた悲しみと、夫が握り返してきた手のぬくもりが残っていた。


夫は、去年の1月頃に、そろそろ、高いところに行かなきゃならなくなったんだ、と言っていて、そうしたのだと思うが、寂しいのかもしれない。

同じく、去年の3月の夫の月命日に、私は、霊が集まるという道で、幽霊さんに追っかけられた。

今年の今月の夫の月命日には、ウチのご先祖さんのためにだけど、夫が気に入っていたお坊さんがお参りに来る。

夫は、寂しがりやだったし、自分にいつも注目していて欲しい人だった。

だけど、亡くなれば時間とともに忘れられていく。

生前、我が強かった人は、忘れられて行くのが受け入れがたいのかもしれない。

人間、死んでも、中々、無の心境にはなれないということだろう。






スポンサーサイト



コメント

非公開コメント